断捨離
【断捨離とは】
「断捨離」のそれぞれの文字には、ヨーガの行法(ぎょうほう)である断行(だんぎょう)・捨行(しゃぎょう)・離行(りぎょう)に対応し、
⚫︎「断」:新たに手に入りそうな不要なものを断る
⚫︎「捨」:家にずっとある不要な物を捨てる。
⚫︎「離」:物への執着から離れる。
という意味がある。
すなわち「断捨離」とは、不要な物を「断ち」「捨て」、物への執着から「離れる」ことにより、「もったいない」という固定観念に凝り固まってしまった心を開放し、身軽で快適な生活と人生を手に入れようとする思想である。ヨーガの行法が元になっているため、単なる片付けとは異なるものとされている。
私の場合は収集癖があり、気に入った物は何でも取っておきたくなる。
対して幸子さんは、余分な物は何でも処分して身の回りをスッキリさせたい人。
今年になって幸子さんは断捨離に目覚めてしまった❗️
半世紀近く一緒に暮らしている我が家の中には、使わなくなった無駄な物やもう日の目を見る事がなさそうな物などが大量に埋もれている。
幸子さんはそれらに手を入れて、ガンガン不要な物を捨て始めたのだ。
中には娘たちとの思い出が詰まった物や、何時の日かまた見たり聴いたり使ったりするであろう物もあるが、幸子さんの思い切りのよさというか潔さには少々強迫観念すら覚える。
捨てる物の山の中を覗くのが怖い私は、見て見ぬ振りして任せっきりである。
流石に私の趣味関連の物については幸子さんも一応聞いてきてくれる。
特にカメラ(写真)関連でストックしてあったネガフィルム・ポジ(スライド) フィルム・モノクロ写真などが大量に出て来た。
それぞれ何千何万枚もあるので一点一点見直すのは時間的に不可能。
で、想い出の数枚だけ残して清水の舞台から飛び降りる思いで全て処分することにした。
“清水の舞台”と言えば、たまたまですがこんな(冒頭の)写真が出てきた。
社報の裏表紙に使われた写真で「悠久の時を経て」とタイトルしたと記憶している。
奈良・京都に撮影で通っていた頃に撮り溜めた写真が沢山出てきた。
その中から長谷寺のショットを数枚・・・
これは、浜松労働美術展の写真部門に初めて応募して入選した写真です。
今見れば何の変哲も無い写真なのだが・・・、
保管してあったとは、当時はよほど嬉しかったのだろう❣️❣️
“断捨離”とは、「過去との別れ❕」
私の青春の1ページが閉じた思いである。