バルザック
コーヒー好きな有名人として、音楽家のベートーベンとバッハを紹介しました。
もう一人、度を超えた"コーヒー好き"として挙げておくべき人物がいます。
珈琲を本格的に勉強した人は必ず触れているでしょう、フランスの文豪バルザックです。
【バルザックの肖像画 Wikipediaより】
長編小説『ゴリオ爺さん』や『谷間の百合』などで知られる、フランスの文豪オノレ・ド・バルザック(1799~1850)は比類ないコーヒー好きであった。
彼は一日に50杯ものコーヒーを飲んだ、との記録もある。
夜中から十数時間通しで執筆する超人的な生活を送っていた彼にとっては、コーヒーの心地よい刺激がとても大事だったのかもれない。
彼が残した名作の数々は、コーヒーなくしては生まれなかった。
小説執筆スタイルは以下のようなものであった。
まずコーヒーを牛飲し、主として夜間に長時間にわたって、何回も推敲を繰り返しながら執筆した。
執筆が終わると、疲れをおしてすぐに社交界に顔を出した。
小説を書いている以外の時間は、社交界でご馳走をたらふく食べるか、知人と楽しく過ごすかのいずれかに費やされた。
もはや伝説になっているバルザックの大食いは、(糖尿病が原因と思われる)晩年の失明や、死因となった腹膜炎を引き起こしたと思われる。
借金も豪放、食事も豪胆であった。
事業の失敗や贅沢な生活のためにバルザックがつくった莫大な借金は、ついに彼自身によって清算されることはなく、晩年に結婚したポーランド貴族の未亡人ハンスカ伯爵夫人の巨額の財産がその損失補填にあてられた。
【バルザック家に残る、バルザックサイン入りコーヒーポット】
バルザックが最も好調なのは、コーヒーを扱うときである。
それも当然、彼は徹夜で労働す るときにコーヒーを大海のように飲んでいたからである。
オノレ・ド・バルザックは文章を書き始める前に必ず 5〜7杯のコーヒーを飲んでいた。
(彼は一生の間に推定 6万杯のコーヒーを飲んだことが確かめられている)
8時頃にコーヒーを飲み終わると寝室に上がり、好むと好まないとにかかわらず、無理に夜中まで自然に反した眠りを取るのであった。
夜中の12時になると使用人が彼を起こしに来て、再び激しい労働についた。
それは彼を早死にさせた終わりのない労働であっ た。
バルザックが晩年友人に宛てた手紙文にこんな文書が見られます。
『数日中にはもっと楽しいことをお伝えできるかも知れません。
しかしそれも疑わしいことです。
私の健康状態は極端に悪く、コーヒーも何の精神の力ももたらしてくれません。
すべてが煩わしく何もできません。
食事は十分にとっていますがやせてきています。
コーヒーは私の脳に何の効果も生み出しません。
毎晩軽い熱の発作があり、気分が悪いので すが、医者に伝えられるような病気の原因も見当たりません。』
『私は昼夜を分たず仕事し、コーヒーだけを飲んで生きています。
私が途方もない量のコーヒーを飲んでいるせいで、あの恐ろしい胃の痛みが再び襲ってきました。
しかしコーヒーなしに仕事することはできません。 』
バルザックの手紙文の中に大変興味深い文書を見つけました。
『あなたに報告したい極端にすばらしい衛生上のニュースがあります。
というのも私が冷たい 水でコーヒーを作ることを思いついて以来、もはや胃の痛みもなく、コーヒーが私を苦しめ ることもなくなりました。
冷たい水で作ったコーヒーは沸騰した水で作ったコーヒーとは全く別物です!
体に害を及ぼすことなく精神的な効果だけが得られるのです。』
バルザックが行った抽出方法は水出し(ダッチ) コーヒーを意味しています。
水出しコーヒーは、インドネシアの粗悪なコーヒーを何とか美味しく飲めないかとオランダ人が考案したコーヒーの抽出方法です。
17〜18世紀当時インドネシアに住んでいたオランダ人の間で行われていた方法で、ヨーロッパへはまだ伝わっていなかったと思います。
ということは、バルザック自らこの抽出方法(水出しコーヒー)を考案したことになります。
バルザックのコーヒーへの並々ならぬ深い思いが伝わってきます。
以上、トリビアな珈琲雑学でした。
【ロダン作 "バルザック像”】
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