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特別展 “どうする家康“

11月3日から始まった静岡市美術館での催事ご案内です。

『NHK大河ドラマ特別展 “どうする家康“展』
特別展 “どうする家康“

【しずび史上最多!国宝・重文約50点】
戦国乱世に次々と起こる予期せぬ出来事に逃げることなく答えを出し続け、泰平の世の礎を築いた徳川家康。
本展は「どうする?」をキーワードに、その生涯において重要なターニングポイントとなった合戦や出来事の数々を、関連する豊富な資料を通してひもといていきます。
また、家康の前に立ちはだかり、重要な決断を迫った武田信玄、織田信長、豊臣秀吉をはじめ、酒井忠次、本多忠勝、榊原康政ら「徳川四天王」に代表される家臣団の精鋭たちゆかりの肖像画、武具なども数多く展観。
さらに家康自身が愛用した甲冑や刀剣、駿府で暮らした晩年に使用した茶道具、香道具、文房具といった手沢品の数々も紹介します。
国宝・重要文化財を多数含む110点余りの作品を通して、誕生から歿後に東照大権現として祀られるまでの足跡を辿るとともに、真の姿を浮き彫りにします。


特別展 “どうする家康“
特別展 “どうする家康“
特別展 “どうする家康“

大河ドラマファン、徳川家康ファンは会期中に是非静岡市美術館にお出掛けください。


特別展 “どうする家康“

さて、大河ドラマは今週からいよいよ“関ヶ原合戦“の場面に移ります。

特別展 “どうする家康“

戦前、西軍(石田三成側)は人数(戦力)的にみて優位とされていました。
結果は、半日で決着して不利と見られていた東軍(徳川家康側)が勝利したわけです。
その要因は・・・、
戦国史好きな方は、様々な歴史書を読んで関ヶ原合戦の推移・状況をよくご存知でしょう。
色々な事が重なって徳川家康側が勝利したわけですが・・・、
貴方は東軍勝利の最大の要因をどのように分析していますか?

色々な書物や記録から鑑みた僕の考えを記してみます。
歴史評論家の多くは、小早川秀秋が西軍を裏切ったことで流れが一気に東軍に移り勝利したとみています。
或いは、関ヶ原合戦の前哨戦とされる“大津城攻防戦“で城主京極高次が籠城して西軍を足止めしたことで、結果多くの西軍勢力が関ヶ原合戦に間に合わなかったことが西軍の敗因につながった、と見る評論家もいます。

で、僕はこう見ます。
西軍最大の勢力を有する毛利輝元は、徳川軍の背後に陣取り戦況を傍観していました。
もし毛利軍が背後から徳川軍に傾れ込んでいたら、家康は西軍本体と毛利軍の挟み撃ちに合って最後の時を迎えていたであろう。
毛利軍の動きを抑制していたのが、毛利輝元の家臣吉川広家です。
吉川は勿論西軍でしたが、実は密かに徳川家康と内通していて毛利輝元の進軍を抑えます。毛利軍が動かなかった結果、小早川の裏切りもあって東軍は半日の戦いで勝利します。
合戦後家康は、西軍毛利家の存続を許します。
潰されそうだった毛利家をピンチから救った人物が吉川広家です。
と言うことで、東軍徳川家康勝利の重要なキーマンは吉川広家だった、と僕はみています。

特別展 “どうする家康“
特別展 “どうする家康“
特別展 “どうする家康“

関ヶ原合戦に絡む武将・・・、
西軍の小早川秀秋、毛利輝元、吉川広家、石田三成、
そして、東軍の井伊直政、藤堂高虎、本多忠勝、京極高次。
どの人物を扱っても大河ドラマのネタになりそうです。


果たして、大河ドラマでは毛利家の家臣吉川広家が登場するのだろうか?
毛利輝元の関ヶ原合戦での動向をドラマではどのように扱うだろうか?
大河ドラマ“どうする家康“は、今週(明日)から最大の山場“関ヶ原合戦“に入ります。
脚本家古沢良太さんはどのように演出するだろうか⁉  楽しみに拝見したいと思います。


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