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フランシス・ベーコン

先週豊田市美術館で観賞たフランシス・ベーコン展を紹介すべきか否か迷ってたが自分への記録としてブログアップすることにした。
ピカソと並び称され20世紀の巨匠と評価される作家ではあるが、進んでお薦めする絵画展ではないことを最初にことわっておく。むしろ体調がすぐれない時や気持ちが不安定な時は絶対に行くべきではない。


フランシス・ベーコン

絵画(芸術作品)に攻撃された経験があるだろうか?
今まで美術鑑賞に出掛けた回数は数えきれないが「絵画が私を攻撃して来る」、今回初めてこんな感覚を覚えた。実際彼はこんなことを言っている、「私の絵は観る者の神経組織を攻撃する」と。

   フランシス・ベーコン   フランシス・ベーコン   フランシス・ベーコン


何かを訴え掛けるように叫び来る口、獲物を狙うが如くこちらを睨みつける鋭い目、グロテスクに歪んだ身体でこちらを威嚇する顔。彼の作品は観る者を強烈に威圧し攻めてくる。

彼が描く人物には共通点が二つある。
ひとつは、顔も身体も不自然に歪み崩して、決して目に見えないものを描き現そうとしている。
ピカソに触発されたベーコンはキュビズムの世界に惹かれ、本来見えない筈の部分をピカソよりも強烈に、そして露骨に描いている。背骨・内臓が露出し、描く人物の内面をむき出しにしている。人間の表面からだけでは図れない内側を露呈することで人物の本質を描こうとしているのである。
もうひとつ、彼が描く人物は半透明或いは身体が裂けて向こう側が見えている。
輪郭がハッキリせず、部分部分は向こう側が透けて見えている。妄想なのか、虚像なのか、人物の存在を否定しているのか、それともその人物を異次元から引き戻そうとしているのか。真意は彼ベーコンにしか知り得ない。

ベーコンは自分の作品を展示する時、美術館側に必ず注文していることがある。
「額装は金色の縁で統一し、全ての作品に硝子を施すこと。」である。
このことにどんな意味と効果を求めているのか僕なりに考えてみた。
彼の作品は何れもダーク系の色を使って描かれている。これに硝子を嵌めると鏡の反射効果が見られ、観ている自分の姿が作品の中に映り込むのである。絵の中の人物と同化した自分の姿は悲痛な思いで苦しみ叫んでいるように見えた。彼の狙いはそんなところにあるのではないか、と勝手に解釈する。

彼の作品には画品があるか?、と問われれば"無い"と答えざるを得ない。が、精神性はあるか?、と問われれば、苦しいまでの強いオーラとともに突き刺さるほどの強烈なメッセージが投げ掛けられるのである。

各作品のエピソードが重い。
フランシス・ベーコン
【ジョージ・ダイアの三習作】
よくポスターに使われるこの代表作の逸話はこうである。
モデルは元プロボクサーのジョージ・ダイア。ホモセクシャルのベーコンの恋人である。ジョージ・ダイアはベーコンの家に盗みに入り見付かってしまうが、一目惚れしたベーコンに受けられて一緒に暮らすことになる。しかし気移りの激しいベーコンは直ぐジョージ・ダイアに飽きてしまう。捨てられたジョージは失望し自殺してしまう。

フランシス・ベーコン
【三幅対】
この作品はベーコンの遺作である。この絵が完成して3ヶ月後、ベーコンはこの世を去る。
彼が描く人物はみな歪められ変形しているが、遺作に描かれた人物二人は歪んでいない。向かって右の絵の人物は自分(自画像)、左側の絵の人物はアイルトン・セナである。ベーコンはセナに何か特別な思いを抱いていたのではなかろうか。


絵画展を観終わって暫くは脳が疲れ切って茫然自失状態。暫く何もする気が起きなかった。
“絵に攻撃される”、このような展覧会を今まで経験したことがなかった。

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