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哲学の道

進々堂京大北門前店が臨時休業で寄れず、その足で銀閣寺に向かって哲学の道を散策することにしました。

哲学の道

銀閣寺から哲学の道を歩いて若王子神社へ、そして永観堂や南禅寺を巡る散策路。
このルートは、東山における京都観光の定番コースです。
四季を通して楽しめ、特に桜の季節から新緑・紅葉時期には大勢の観光客で賑わいます。

哲学の道

哲学の道

哲学の道


前回(コロナ禍以前に)来た時は大変な人の数で、その殆どが海外からの観光客でした。
人波の中を肩をぶつけあいながら歩いたのを覚えています。

ところが、今の京都(哲学の道)は全く様子が異なります。
コロナ禍の影響でしょう、観光客は殆ど居ませんし、特に海外からの観光客は皆無です。

哲学の道

冬が終わって桜が咲く少し前のこの時期、タイミングが良かったこともあります。
地元の老夫婦、琵琶湖疏水で釣りする人、学生さん、哲学の道ですれ違った人は数人。
これほど静かな“哲学の道“を散策するのは初めてかも知れない。
久々に、ゆったり時間が流れる本来の姿が取り戻せた京都を感じた気がします。

哲学の道哲学の道


“哲学の道“とはどんな所なのか簡単に触れておきます
哲学の道はもともと、1890年(明治23年)に琵琶湖疏水が完成した際に、管理用道路として設置されました。
北は銀閣寺から南端の永観堂まで、琵琶湖疏水の流れに沿った2kmほどの散策道です。
当初、芝生が植えられている程度の道でしたが、ここを歩いて通行する人々が増えていきました。明治の頃、銀閣寺や法然院、永観堂などが点在し環境が良いことに加えて京都大学が近くにあるため、文人が多く住むようになり「文人の道」と称されていました。その後、京都大学の哲学者・西田幾多郎や田辺元らが好んで散策し、思案を巡らしたことから「哲学の小径」とか、「思索の道」などと呼ばれていました。1972年(昭和47年)、地元住民が保存運動を進めるに際し、相談の結果「哲学の道」と決まりその名前で親しまれるようになり現在にいたります。これにちなみ、1981年(昭和56年)に道の中ほどの法然院近くに、西田が詠んだ歌「人は人 吾はわれ也 とにかくに 吾行く道を 吾は行くなり」の石碑が建てられました。


南禅寺まで降りてくると流石に観光客風な人々がチラホラ目につきました。

哲学の道

哲学の道哲学の道


『世界の訪ねたい街ランキング』、で人気はトップクラスの京都。
しかし今は海外からの観光客が殆ど居ない静かな古都。
日本の古の都を感じるならば、今が訪ね時かも知れない。



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