
浜松と言えば“うなぎパイ“、そして静岡と言えば“安倍川もち“がご当地名物の代名詞ですね。
“安倍川もち“の歴史を紐解いてみます。
餅の名付け親は、400年の昔(慶長年間)に遡り、徳川家康が命名したと伝わります。
『徳川家康が駿府城を居城としていた時代。安倍川上流の笹山金山や梅ヶ島の日影沢金山などを御用金山とし、金の採掘を盛んに行っていました。 あるとき検分に出向いた家康に、ある男が餅をつき「黄粉」をまぶして献上しました。あまりに美味しかったので男に製法を尋ねると「この餅は、金山から産出する金の粉が安倍川へ流れるのをすくい上げて、餅にまぶしてつくるので『金粉餅(きんこもち)』と申します」と即答しました。家康はこの男の機知をほめて褒美を与え、改めてこの餅を「安倍川もち」と命名したということです。』
浜松にも家康に纏わる餅の伝説、“小豆餅と銭取り“があります。
何れも真偽のほどは定かではありませんが、ロマンがあって良い話だと思います。
今年の大河ドラマは“どうする家康“❗️ “安倍川もち“が登場するでしょうか⁉️
さて、“安倍川もち“を一躍全国区に伸し上げた人物が「安倍川もちの“やまだいち“」創業者の山田一郎氏。
山田氏は“安倍川もち“を復活させようと戦後直ぐに事業を立ち上げ奔走します。
昭和20年代半ばには駅売りを始めてNHKで扱われ、後半には東京三越で実演販売を行い知名度が一気に全国区となりました。
今では静岡と言えば“安倍川もち“、“安倍川もち“と言えば静岡。
静岡名物として揺るぎない存在です。
歴史の話はこの程度にして表題の『登呂もちの家』に話題を戻します。
“やまだいち“直営の店『登呂もちの家』が登呂遺跡西側に隣接してあります。

私たちはこの店が大好きで、開店当初から家族揃ってよく通いました。
娘たちが大きくなり私たちもScene開店で時間が取れなくなり行く機会が無くなりましたが、
今年の冬休み時間が取れたので、云十年振りに長女を誘って訪ねてみました。
建物は、よく通っていた頃と全く変わっていなくて3人で感激しました。
福島県奥会津の山奥にあった築二百年の農家をそのまま移築した重厚感ある立派な建物です。

建物に付帯して水車があり、その原動力を実際餅つきに活用しています。

囲炉裏には炭火が入り、なんとも言えぬ温かい風情を醸し出しています。

長女も子どもの頃を思い出して懐かしんでいました。
もちの家ですからメニューは、つきたての餅尽くし。
安倍川もち、からみ餅、磯部餅、きな粉餅、雑煮、お汁粉、の餅フルメニュー、




これに栗おこわ定食を加えて 3人でシェアし餅尽くしを満喫しました。


現在はコロナ禍の影響もあってか不定休で基本は週末のみ営業しているようです。
行かれるようでしたら事前に要確認です。
小倉ファミリーの大好きな素敵な空間です、機会がありましたら訪ねてみては如何でしょう。
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