
掛川市二の丸美術館で明日(10月5日)から始まる催事のご案内です。

掛川城は室町時代に今川氏が家臣の朝比奈氏に命じ築かせたことを始まりとし、
その後、山内一豊による天守閣築造、安政の大地震による倒壊、明治維新による廃城、
そして平成6年の市民の熱意による天守閣の再建と、様々な歴史を歩んできました。
本展覧会は掛川城天守閣開門30周年を記念し、歴史の流れの中で有為転変し今に至る
掛川城の文化の様相を「わたしの掛川城」という視点からご覧いただくものです。
掛川の町と城を語るに外せない人物が“山内一豊”です。
『山内一豊は、天文14(1545)年、尾張国葉栗郡黒田に生まれた。一豊は流浪の末にいく人かの主君に仕えたのち、織田信長の家臣であった秀吉に仕え、信長の越前朝倉攻めでは秀吉の配下として武功をあげ400石の領地を与えられた。また、本能寺の変で信長が死去し秀吉の天下となると、そのもとで数々の功績を重ね、天正13(1585)年に近江長浜2万石、天正18(1590)年に遠州掛川5万石を与えられ、検地や築城、城下町経営に手腕を発揮した。』
山内一豊はもう一つ、高知城を構築しています。
『慶長5(1600)年の関ヶ原の戦いで徳川方に味方し、その功績から土佐一国を与えられた。
慶長6年(1601年)山内一豊土佐国に入国すると江戸幕府へ築城を報告し、鍬初式を行ない築城着工にかかる。慶長8年(1603年)本丸と二ノ丸の石垣工事が完成し初代藩主として山内一豊が入城する。』
山内一豊が築いた二つの城、 「高知城」(左)と「掛川城」(右)


二つの城、心なしか似ていると思いませんか?
『わたしの掛川城』
掛川市二の丸美術館で11月24日まで開催されます。
日本の“城”に興味ある方は是非お出掛けください。
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